当國三十三観音霊場、って?
2022.08.19 |Category …北上で、…
なんだこれ、と思ったが、2013年12月11日に投稿した「風景印 岩手・八重畑郵便局」のなかで、「陸中国三十三観音霊場の第十六番目の礼所」とか書いて、さらっと流してた。。。
当國って、なに?
陸中国とは違うの?
意味わからず。
その時は分かったてのかな、自分。
よく分からんので、ググる。
「日本を巡礼する」さんの「和賀三十三観音」によれば、宝暦年間(1751~64)以前に成立したもので、「当国三十三所」「東国三十三所」「和賀郡稗貫郡紫波郡三十三所」「陸中三十三所」「南部藩南三十三所」ともいうらしい。
当国、あったね。
東国のことか。
日本最古の観音巡礼の西国三十三所に対して、あまりに恐れ多くて、「東国」を「当国」に変えた?
単に自分の所の三十三観音、ってこと?
京都を中心とした憧れの西国三十三所には到底行けないので、近場に作っちゃえ、ということのようなのかな。
これを「写し霊場」というらしいけど。
西国三十三所巡礼が築かれたのが718年、再興されたのがその270年後。
当国三十三所は、更にその750年後くらいということになるのかな。
南部藩では1755年前後の飢饉で6万人の餓死者が出ているようなので、そういったことが写し霊場を築く切っ掛けになったのだろうか。
和賀三十三観音の札所は、26番から33番は北上市内にある。
「岩手県: 当國三十三観音霊場」によれば、以下の通りで、「日本を巡礼する」さんのリストより一か所増えている。
※Google map見てて初めて気づいたが、「当国観音霊場」って出てくる!!!
普通に出で来る。。。。
知らないことばっか。。。
北上市史に期待。
ぜひ、電子版も。
まぁないだろうけど。
第33番札所 和賀寺・観音堂 十一面観音(九年橋) Google map
これって、増えたり減ったりするのか?
だれが決めてんの?
北上にある札所の観音には、観音が救済のために変身して現れる六観音のうち4つがあり、あとの2つ、如意輪観音と准胝(じゅんでい)観音はない。
ってことは、人道と天道で苦しむ人は救ってもらえないということ?
あれか、この2つは善道だからか。
ようわからんけど。
輪廻六道とご担当(?)の観音様
地獄道 - 聖観音
餓鬼道 - 千手観音
畜生道 - 馬頭観音
修羅道 - 十一面観音
人間道 - 准胝観音
天道 - 如意輪観音
「三十三観音」てのは、全国にあるのね。
この歳になって初めて知る。
なんともはや。
そんなのばっかだな。
北上ケーブルテレビの自主放送でやってる「16地区よろず発見」みたいにさ、市内の神社仏閣をさ、短くていいからさ、そう、1神社3分くらいでいいから、紹介する番組、作ってくれんかな、ケーブルテレビで。
どこの地区もそうだろうけど、市内にもたくさんあるから。
まさに歴史ただよね、歴史。
あ~、江刺三十三観音霊場とか陸中新四国八十八カ所霊場とかも、あるんかい。。。。
あ~、そうだ、今朝のNHKの全国放送に更木の永昌寺の若住職が出てたね、びっくり。
来月法事でお世話になりま~す。
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参考








観光ペナント KITAKAMI
2022.08.18 |Category …北上で、…
二重丸日付印 陸中黒沢尻→陸中郡山
2022.08.17 |Category …北上の郵便で、...
コメントにて、見落としてた点を指摘していただきました。
二重丸型が使われていた明治21年までには、鉄道は動いていない!
鉄道開通は23年!!!
しまった~、です。
指摘にもありましたが、鉄道が無いので、郵便は川運か陸運か、になる。
川運(舟運)を指摘されて気づいたんですが、日詰に郡山河岸があった。
だから郡山までは確かに舟かも。
でも黒沢尻からは上りになる。
黒沢尻と盛岡の間は上り4日、下り半日だったそうなので、上りだと仮に単純に郡山まで半分の距離とすれば、4日の半分の2日かかることになる。
その日のうちに届くは無理。
ということは陸運か。
今度調べてみっかな。
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参考

-------- (2022.8.17 投稿)

二重丸型日付印 KB2型(国・局・かな)
引受局:陸中国黒沢尻局6月1日い便 → 到着局:陸中郡山局6月1日ろ便
郡山郵便局とは、「陸中」とあるから当然福島県の郡山郵便局ではない、あは。
現・紫波郵便局の事である。
昔は日詰と二日町を併せた一帯を郡山と言ったのだそうだ。

紫波郵便局は開業当時は「郡山」で、明治37年に「日詰」となり、「紫波」になったのは昭和31年になってから。

黒沢尻局の「い便」と郡山局の「ろ便」の集配時刻が分からないので、どれくらいで届いたのかは分からない。
い便は朝だろうけど、ろ便は?
午前、午後くらいのことか。
二重丸型日付印は明治21年8月までの使用とのことだから10年後の時刻表となるが、明治32年の鉄道時刻表を見ると日詰-黒沢尻間は1時間5分となっている。
ということは、半日くらいで届いたということか。
ま、配達までとなると、もっとかかっただろうけど。

日本における鉄道の開設には日本近代郵便の父・前島密も係っていて、鉄道の仮営業中から郵便物輸送に鉄道を使っていたそうである。
だから当然、この郵便物も日詰までは東北本線を使って運ばれたんだろうなぁ、と。

差出人は陸中黒沢尻の木村新治郎さん(?)。
に木となってるので、商店なんでしょうね。
何を商ってたんでしょうかね。
あ~、ここまで書いて、10年前に陸中郡山郵便局までの丸一型日付印のことをアップしていたことに気づく。。。
なんだかなぁ。
ホ便で引き受けて、同日ホ便で到着している。
すんげぇ、はえぇ。。。
