ホテルメッツ北上改修工事中
2016.12.25 |Category …北上で、…
駅弁 みやぎ石巻大漁宝船弁当(宮城)
2016.12.25 |Category …ぶつぶつ・・・
初代

二代目

何年か前、サンドウィッチマン取材のテレビ番組があり、それてを見ていて誰に頼まれたわけではないが「これは食べねば」と思ったのであった。
なにせ、被災した水産加工業者が復興を目指す「石巻元気復興センター」の作品ともなれば、隣県の岩手県人として食わねばなるまい、とは仕事当然のこと(自分としては)。
JRE、JR、行政が関わっていることなどどうでもいい、被災者が立ち上がろうとする姿に食って応援したいと思ったでよ。
更にそれが駅弁だし。
それから早ン年。
そして記録もようやく12月になってから。。。。
そもそもこの弁当はH25の仙台・宮城デスティネーションキャンペーン向けの企画弁当で、販売期間も4ヶ月程度だった。
でもそんなこと知らないから、そのうち食べられるだろうと思っていて、たまたま山形からの帰りに仙台駅乗り換えの間、駅で駅弁を見つけて買おうかどうしようか迷って買わなかったことがあった。
後から知ったが本来ならこの時を逃したらもう食べられなくなる弁当だった。
それが翌年まで販売延長となり、これまたチャンスが訪れた、のだが。
朝、仙台駅で駅弁をチェックしに行って、おっあるある、後で買いに来よう、と出直したら、既に売れ切れ。
なんてこったい。
そのうちに第二段になっていると聞いてショック。
そもそも販売を1年間に延長して、翌年は仙台・宮城【伊達な旅】春キャンペーン2014に合わせての模様替え。
そんなことなんか何にも知らずに、また、朝チェックだけして買いそびれるという学習できない行動を再度取ってしまう。
それ以来、仙台に行っても巡り会えず、今年まで食する機会を逃してしまった。。。。
しかし、いいこともあった。
第二弾では食材が一部変更されているが、1つ増えてもいたのだよ。
食材を提供する企業が1社増えたから。
事情は私には解らないが、復興が進んだ1つの証拠、と勝手に解釈している。
提供食材を以下にまとめてみた。
第一弾 | 第二弾 | ||
ヤマトミ | 穴子焼き | 同左 | 同左 |
木の屋石巻水産 | くじら大和煮 | 同左 | 小女子とのりの佃煮 |
ヤマサコウショウ | つぶ貝煮 | 同左 | 同左 |
津田海苔本舗 | 花小えび | 同左 | 同左 |
ヤマトミ | 金華〆さば | 同左 | 同左 |
末永水産 | 炙りかき | 同左 | 同左 |
ヤマサコウショウ (山形屋商店) |
たらこ塩麹漬焼き (塩麹) |
で、駅弁の画像。
仙台NRE製造、みやぎ石巻大漁宝船弁当~第2弾~、1150円
掛け紙の表には「底面も見てけらいん!」と書いてある。
底には、石巻市の被災と復興の状況と石巻元気復興センターのことが書かれていた。
センターの今月のオススメ商品は牡蠣パイ、黒潮わかめ、素材で味わうレンジで蒸しホヤ、なそうだ。
ま、今月もあと僅かだが。
![]() 年内お届けは12/26ご注文分まで【期間限定】石巻うまいもの冷凍セット【いわし】【ぶり生ハム燻製風味】【金華〆さば】【無着色たらこ】【無着色明太子】【無着色しそ明太子】【和風にらまんじゅう】【めんたい鶏ハラミ】【みそ味鶏ハラミ】 |
小清呉服店の商品券 2円
2016.12.25 |Category …北上で、…
2円もあったのね~。
1円、3円、5円、10円は持ってた。
デザインは2種。
店名の上に、「」に「き」が在るのと無いのと。
住所は「黒澤尻町」と「岩手縣黒澤尻町」の二種。
「岩手縣黒沢尻町」の太いの細いの。
太い「岩手縣黒沢尻町」が店名の右か左か。
一枚だけ使用した日付がわかり、28年3月15日。
風景印 7並び 波瀬郵便局(三重)
2016.12.25 |Category …郵便で、…
風景印には三重県の重要文化財である天開山泰運寺の八角梵鐘と旧飯高町の花であるヤマユリが描かれている。
旧飯田町とは、2005年に松坂市他と合併して新・松坂市が発足したため、飯高町が消滅したため。
7並びの当時は松坂市飯高町ではまなく、合併前の独立した飯高町だった。
どういうわかけ、「本居宣長の古事記伝、松坂城址、駅鈴」と紹介されているサイトがあった。
なぜ?
それって、松坂局の内容だし。
駅弁 掛け紙 後藤商店 古可゙祢毛知
2016.12.25 |Category …北上で、…
黒沢尻駅後藤商店 名物「古可゙祢毛知」 定価10銭。
こがねもち、ね。
縦に四角い切り餅ですかね。
餅の上に餡子でも載ってたんですかね。
どんな弁当だったんだろ。
「もち」は普通に読めるけど「古可゙祢」がね~。
時代的なものだろうが、いつのかね。
大正8年の「御寿し」の掛け紙と比較すると。。。
よくわからんな。。。
この図だと「軽」、先のは「輕」で古い。
この図だと「道」はしんにょうは点二つの「辶」に対し、先のは点一つの「辶」だ。
この図だと「沢」、先のは「澤」。
この図だと「﨑」で、先のは「嵜」。
う~ん、どっちだろ。
「盛岡州脇石印」ってどっちの掛け紙にもあるが、これって印刷したところ?
石版印刷でつくった?
同じところで作ったとして使ってる字が違うのは何故?
デザイナーの違い?
まぁ、最初に使い始めたのが、いつかにもよるか。
先のは図は「鉄」で脇の注意書きは「鐵」と、同じ掛け紙の中でも使う字体が違う。。。
注意書きは、以前からのをそのまま使ったのか。。。
それと、鉄道の地図は以前は「上り」を上に、つまり一ノ関を上に書いていたが、これは北の盛岡が上に描かれている。
それよりも。
ここには岩手軽便、仙人までの軽便鉄道(和賀軽便)、岩谷堂までの馬車鉄道(胆江軌道)が書かれている。
それぞれ、営業期間は大正2年~昭和11年、明治40年~大正11年、大正5年~昭和3年。
ということは、この掛け紙が使われたのは、3つの鉄道が3つとも営業していた大正5年から11年までの6~7年間。
すると先の大正8年の掛け紙は、まさにこの期間のど真ん中ということになるな。
当然この「こがねもち」掛け紙もこの期間だな。
そうなんだ。
大正期も「古可゙祢」は普通に「こがね」って読めるんですね。
そうなんだ。
(追記12.27)
当時?の横黒線(現・北上線)案内では、土地名物として桜羊羹、金山おこしとともに、こがねもちが有名だとの記述がある。
あ~、どんなのか気になる~。