一、元祿十五年八月上山半右衛門様、中野金右衛門様へ願書指上候は、藤根村曲屋敷と申處に春木場御座候。右曲屋敷より黒澤尻町北脇折川橋にて、春木流し申渡しと申上候へば、藤根村松岡藏之亟殿、同清六殿、同藤太夫殿、用水せきに御座候故、右三人之關役人佐藤彌平二殿、肝入久左衛門、同源二郎德右衛門、半右衛門様にて鬼柳へ御よび被成右之通願上候。其方など預りせきに候間、若春木流し申に付、破損所候はゞ普請仕筈、田畑へさはり不申様に可仕と申候間、いかゞ様子承候と被仰候へば、せき役人衆申候は、ふしんさへ仕候はば不苦と申上候。さ候はば、御城代衆へ申上、御了簡にて相究可申候間、左様御座候様にと被仰候。尤江釣子村肝入彌市郎にも右之様子御尋被成候へば、彌市郎もふしんさへ仕候はば不苦と申候。其後閏八月十九日に立川め村にて、中野金右衛門様より肝入惣兵衛拙者に被仰付候は、其方共先達願上候春木流し申候事、御城代衆へ申上候へば、内々にて吟味仕候は以來ろん無き候様に手形請取渡し仕爲流候様にと被仰付候間、近日より木ながし申度候は流候様にと被仰付候。就て同九月より又七、市兵衛、忠兵衛、仁兵衛春木流し申候。江釣子村彌市、助兵衛、手形有、彌市郎助兵衛方へも相渡し申候。右願上候はば北鬼柳村里分村町分村本町新町五人にて願上申候。御城代衆奥瀬藏之助様楢山御左衛様に御座候。
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