一、川岸染黒寺雲知和尚花卷一日市町より出候人に候。ついかう寺之弟に御座候。一意和尚隠居仕四年先雲知和尚後任に付申候。然に寶永四年の亥の八月廿三日に病死被成候。就て後住にちくわん付申度と御隠居様に候故、右ちくわん御付被下度と鬼柳村正覺寺様へ願上候。尤に候へ共ちくわん位無之候故取つき不成と被仰候。同廿四日右之通願上候へ共不叶候。同廿六日に御寺へ參候様にと廻状參候。隠居様被仰候は正覺寺被仰候は、更木村圓照寺か久野木目村かうれん寺か苅杉村出家の右三人之願候様にと被仰置候間、何方成共願候而後住早く付候様に相致くれ候へと一意和尚被申候。檀中申候は御隠居様の御為め能候方望可申候へば、不知者よりは圓照寺は能く候半と被申候。左候はば檀中は黑岩村正洞寺願上候へ共御隠居様の御為めに候はば、圓照寺願可申と申、本町より上の惣兵衛、下より左藤右衛門、北鬼柳より藏之助、新町より源十郎、右四人鬼柳正覺寺同廿七日に遣し、圓照寺願上候へ共埒明不申戻申候。本寺にては久野木目の寺付申度と被思召候様に御座候。廿八日に肝入彌兵衛所へ寄合相談仕候間、黑岩村正洞寺後住に廿九日に御寺にて願候へ共、正洞寺は成不申候。三人さしず仕り置候間此内願可申其外は付申事不成と申付更木村圓明寺願後住に相立申候。其節寄申者共本町より平左衛門、惣右衛門下よりは左藤右衛門、太郎右衛門、七右衛門、三郎右衛門、藏之助肝入猪助拙者寄合相談相究め申候。同九月八日七つ時分に御移り被成候。就て猪助、彌兵衛、惣兵衛拙者四人にて諸□貮本持參見舞申候。
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