一、同廿九日之朝孫作參候へて申候は、昨夕、右の女申候は、是迄かくし居候、大分の恩申請候間此上はかくし不申拙者儀は、仙臺古川の近所上そねと申所に覺左衛門と申御座候、其甥に久三郎と申者の女房に御座候。然は姑はりんき仕候、夫婦之あわい能候とても狂ひ、髪をゆい申とてもくるい、大分にもまれ申に付拙者も氣のどくに存、出走仕候。二三年も右之通に御座候。然ば召使六人御座候内九兵衛と申者と念頃仕候。かくし候へ共知申候て、迷惑に成申候に付欠落段々參候。仙臺領之者に候と申候。就は先度は相去村なしの木と申屋より參候間、とてもの事に此方へ參候。家まで送りくれ候樣にと申候間如何可有と孫作申候。拙者申候は他領の者にて五人組合に相談仕首尾能候樣に可仕と申候。孫作戻り組合之者共に右之通爲知相談仕候へば組合之者共先他領者と相見え候間、太右衛門孫作兩人に參候所へ送返し申樣に仕度と組合之者共申候に付拙者は不仕候間、何樣にもよき候樣にと組合三九郎、左衛門、與兵衛、吉十郎に申候。然ば同晩左衛門所へ組合之者共うちより、組頭三九郎申候は、右之女相去村へ參度と申候に付、太右衛門、孫作兩人附け送り申候間、爲知申候と三九郎拙者に申候。就て太右衛門、孫作に樣子相尋候へば、相去村なしの木の孫兵衛門と申者への家迄おくり戻申候。其女道中にて度々申候は、其方共兩人は參候は如何樣の六ヶ敷御座候と存、拙者に宿くれ申間敷く候間、道より戻りくれ候樣にと度々申候。拙者共存候は先達而請取渡ししかと仕候は、其家へ送り届け可申候へ共、壹人參候上は孫兵衛門合點仕候間敷と相談仕、右之女中事も尤に存候に付孫兵衛門まで送り、其家へ入申を見届け申候。ものかけ御座候に付半時程居り若宿取兼候哉と存見居候へ共、其家より出不申宿取よせ候存、是迄と思ひ戻申候と太右衛門孫作申候。拙者申候は其家は甥の孫十郎居候家に候哉と尋申候へば、兩人申候は成程孫十郎居候。旦那の家に御座候と申候。拙者申候は左樣に候はば、先達おくり參候者に候間、孫十郎に渡し候へば能く候はんと申候。成程御尤に候へ共他領之儀に候へば、人の家に入申事不罷成孫十郎にもあひ不申、なしの木と申所之家へ右の女入り其家より出不申に付、ちやうの口より見届戻申候と太右衛門、孫作申候。拙者申候は右之女に付他領より御尋も御座候はば、何方より御尋參候はば何時成共其方兩人組合之者共へせんき可仕候間左樣に心得申樣にと申付候。就て同晦日に半右衛門殿、市右衛門殿へ御内々申上候處に、御兩人樣被仰候は、私共は不存候間其女に付重々尋申候はゞ、太右衛門、孫作にせんぎ可仕候。其段申渡置、尤念に候間、其方付留仕置候樣にと被仰付候故、右之趣書留十二月六日之朝組頭與兵衛三九郎、左衛門、吉十郎、太右衛門、孫作六人呼寄せ書留候之趣よみ爲知置申候尤七兵衛も居合承候。□□には、太田原清右衛門殿、照井與五右衛門殿被成御座候時被仰付候。
[0回]
PR