一、元祿九年二月十三日に與助手廻、横せき三右衛門名子に參度と申候。左候へば三右衛門方より名子に指置申由手形持參被下可申と申候へば、右與助・三右衛門方へ參候へば、請合の手形下し申由にて、三右衛門名付の手形持參仕候。左候はば不苦候間引候樣にと申候。然に與助手廻の者共、他領へ參候由承候。右與助、八藏貮人連立、太郎右衛門と申者、他領へ連參候由承候。就て太郎右衛門よび申候へば、内に居不申と女房申返候に、罷歸候はば太郎右衛門に早々參候樣にと申參候。然は二月十三日に罷出、廿三日の晩戻申候。即時よびよせ様子承候へば、八藏儀は三照迄同道致候。其後は不存候と申候。與助手廻は□□□□藤吉と申者の所に居申候。何とて久々居候と樣子承候へば、女子いふこ賣付候は、新町五郎右衛門方へ身代金相濟申度と存、待居候へ共、賣付不申候故ただ戻申候と太郎右衛門申候。文一・八藏・與助手廻に付而、何共六ヶ敷儀候はば其方免し不申候間、左樣に心得申樣にと申渡し置候。右之樣子相尋申時分庄吉・左傅二兩人居合貮人ま者慥かに承候。二月廿三日のばん五つ時分に。
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