新暦
2015.01.01 |Category …北上で、…
それまでは、12月が小の月の場合一日多く、翌1月が一日少なかった。
南部家初代・南部光行が、健久二年(1192年)の12月を一日増やしちゃったのだ。
鎌倉から戻るのに相内泊まりが暮れの28日。
翌日29日は小の月だったため大晦日。
これでは年賀の支度が間に合わないと、12月を一日増やし、1月1日を大晦日にして、1月2日を元日にしちゃった。
それ以後、南部の私大(わたくしだい)といって、小の12月を私的に大の12月にしてしまう。
そのため記録が他藩とは日付がズレてしまった。
さらに、1月は1日減らすのだが、武士とその他では減らす日にちが違うため、1月10日から20日の間は、南部内でもズレが生じた。
なんてこった。
それが解消されたのが、明治6年であった。
・・・だよね?
(1月3日追記)
「その通り」とのコメントをいただきました。
ありがとー、です。