上鬼柳村孫助當町久右衛門家屋敷出入之事
一、享保六年丑の三月孫助方より久右衛門所へ上鬼柳村源兵衛、平助兩人使にて久右衛門に申候は、先年孫助親十右衛門妥女と申者より案堵金十壹切被持貴殿借家に指置申候間右家屋敷相返し候様にと孫助申遺候由、久右衛門返事には成程家屋敷は妥女方より善吉被持候。善吉殿に私小忰自分手代五年相勤候へば善吉殿存命の節右家屋敷もらひ申候間相渡申儀不罷成候と右兩人へ返事仕候。其後孫助方より御披露仕候由にて同村肝煎多兵衛方より拙者方へ爲相知申候。拙者一分にらも返事成兼御町内之孫右衛門、市兵衛、惣兵衛、勘四郎、又八、清兵衛、庄二郎、此者共に申候而内々にて相清候儀に仕度と咄申候得ば老共尤に承合久右衛門五人組合頭善兵衛所に而内談致、右之者共久右衛門方へ参り、今度之一儀内々にて取持見申度と久右衛門に咄申候得は、久右衛門申候はまた私小事善吉殿より此家屋敷もらひ當年迄三十七年居候へば此家屋敷立のき申御座候はゞ、各々御取持□□不罷成由老共へ挨拶仕候由、老共左様に候得は申分も成かね申よし罷歸、其後老共ちうぶん入可申然は孫助方より御披露状御代官筒井作右衛門様、沖彌一右衛門様へ上候由大澤市右衛門様、成田武兵衛様へ御替に丑の二月御代官に御つき被成候。其後御病氣は被成御免、四年七月御代り成候右御代には嘉村彌二兵衛様、作右衛門様、御同役御勤被成候。
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