絵葉書 仙人製鉄所 鍋釜第一工場
2016.01.18 |Category …北上の郵便で、...
これ実逓便で、亀島重治から盛岡中の橋通りの亀島泰治に宛てた葉書だ。
前にオークションで見つけた鷹の巣鉱山と大荒澤鉱山を視察して仙人に宿泊したという葉書の続きのようだ。
日付が6.7.9となっている。
時刻は読めない。
今日仙人鉱山を視察して夕方に盛岡に戻れる、という内容。
実逓便にしてはきれいな状態で残っているな。
前の記事の時に「亀島重治」に関してコメントをいただいていました。
それによると、
・昭和4年刊「郷関を出でし岩手の人々に」に、東北振興会設立に盛岡から金田一国士,大矢馬太郎、亀島重治,…
・最初の盛岡市議選で次点
・昭和5年刊「御大典記念岩手の名士肖像録」に、亀島権四郎の次男、明治4年9月26日に盛岡中之橋通に生まれる。
・織布事業経営、推されて盛岡織物株式会社、盛岡製綿、盛岡劇場、盛岡土地、盛岡製氷、盛岡信金の経営に参画、
・昭和4年秋推挙され県議会の副議長に、
・泰治氏は子供
・亀島呉服店
とのこと。
情報有り難うございます。
亀島呉服店がよく分かりません、亀半?
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(2023.3.1追記)
なんとなんと、亀島重治氏の血縁者の方からコメントをいただきました。
ありがとうございます!!
と、喜んでいいのか、一抹の不安はあります、、、けど。
自分の親族の事が勝手に書かれているわけですから、気分を害される方がいたら、申し訳ないな、とは思いつつも書いているわけですけども。
でも、ま、亀島重治さんは公人であったわけですし。
でも、初めから知ってて書いたわけでもないからな、、、。
ぶつぶつ。
鷹の巣鉱山と大荒澤鉱山を視察したことは記録に残っているんでしょうか。
昭和6年の立場は調べていないので分かりせんが、昭和4年に県議会副議長ということは、そのような立場での視察だったのでしょうね、きっと。