風景印 榛名高浜郵便局→久留馬郵便局 移転改称
2022.11.17 |Category …郵便で、…
榛名高浜郵便局
〒370-3333 群馬県高崎市高浜町923
廃止年月日 2022年10月7日
(使用開始日 1998年10月24日(新規))
移転改称後
くるま
久留馬郵便局
〒370-3333
群馬県高崎市高浜町924-3
使用開始日 2022年10月11日
※なんで日付が斜めってる?
改称による局名変更のみで、風景印の意匠に変更はない。
基本の丸枠に、平安時代後期のカヤ材一本割矧造で群馬県指定重要文化財となっている木造十一面観世音菩薩立像、これを本尊とする坂東三十三観音第15番札所である金峯山修験本宗白岩山長谷寺(しろいわさんちょうこくじ)本堂と周囲の林、北関東有数の果物産地と言われる榛名地区の梨が描かれている。
久留馬郵便局から長谷寺本堂までは徒歩2.5キロメートル。
同じく、はるなくだもの街道の国道406号までは徒歩2キロメートルで、一番近い(?)直売所の富沢正幸梨直売所までは徒歩2.1キロメートル。
さて、移転先だが、その住所からも分かるようにほとんど近くに移ったなとおもったら、元の局舎の裏側だった。
元の局舎は、つぶして駐車場にするらしい。
Google mapで見ると、確かに駐車場は1台くらいしか止められそうにないし(2022.11.16確認)、裏が空いている。
なんか隣の木造建築物が気になる、と思ったら、旧局舎とのこと。
いや、今となっては旧・旧局舎か。
すげーな、旧局舎を残せば局舎三代じゃん、カッケー。
これも壊すのかな。
もったいねー。
さてさて、なんで局名変えたんでしょうね。
郵便局の所在地は、もともと高浜村だったところだったのかな。
それが明治22年に高浜村など7村が合併して久留馬村となり、昭和30年に榛名町に編入された。
ということは昭和30年以降に「榛名高浜」に改称した?
木造の局舎の時は、何て名称?
この郵便局は昭和17年開局(あれ-? この情報どこで見たっけかな-、記憶に無いぞ-)みたいだから、最初は「久留馬」だった?
全然違うかもだけど。
そして更に平成18年に高崎市に編入される。
住所は「榛名町高浜」から「高崎市高浜町」になり、「榛名」が外れた。
ということは「榛名」を外すには遅すぎたというか、今更感があるが、、、。
局舎の周辺には久留馬総合選果場とか久留馬小学校とか久留馬の郷とかある。
JAはぐくみは、久留馬支店と榛名支店が統合して久留馬になっとるし。
改称する際は「久留馬」にするのが、決まりみたいな?
市町村の統廃合って面白いよね。
地名の駆け引きって、あるんだろうなぁ。
ちゃんと調べたいな。
久留馬村史、国会図書館のデジタルコレクションには入っているけど、残念、まだネット公開はされてない。
奈良にも十一面観世音菩薩を持つ長谷寺(はせでら)があるので、混同する。
奈良の方が有名だし、多分。
こっちは十一面が8体で八十八面観音霊場会ってのを作ってるし。
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(参照)
・移転・改称:榛名高浜郵便局(群馬県)(日本郵便)
・風景印 榛名高浜郵便局(日本郵便)
・風景印 久留馬郵便局(日本郵便)
・第15番 白岩山 長谷寺(白岩観音)(坂東三十三観音公式サイト)
・木造十一面観音立像本尊・木造十一面観音立像前立像(高崎市)
・大和路秀麗八十八面観音巡礼
・仏像の素材と技法~木で造られた仏像編(続編)(埃 まみれの書棚から~古寺、古佛の本~)
・はるなくだもの街道(高崎市)
・久留馬郵便局(inukugi : web)
・久留馬村史(国立国会図書館デジタルコレクション)
矢印式乗車券 刈和野から江鈞子ゆき!!!!!!
2022.11.16 |Category …北上で、…
国鉄硬券乗車券、秋田県刈和野駅から910円区間。
刈和野から江鈞子、江鈞子? 鈞?
やっちゃってるねぇ。
「釣」と間違えちゃったねぇ。
これ、フォントも違うよね。
後からつけた(?)ね~。
作成時に「釣」を入れ忘れた?
で、後から付けたのはいいけど、更にミスって「鈞」にしちゃった?
こういうのもあるんだね~。
乗車券でも、エラーっちゅうのが、あるんだね~。
へぇ~。
ちなみに刈和野から江釣子までは、
刈和野-奥羽本線-横手-北上線-江釣子
である。
他は、
刈和野-奥羽本線-大曲-田沢湖線-盛岡
刈和野-奥羽本線-森岳
刈和野-奥羽本線-北金岡(森岳より一つ向こうの駅)
刈和野-奥羽本線-秋田-羽越本線-西目
となる。
裏面。
刈和野から表面矢印の1駅ゆき。
「江鈞子」駅は無いけどな。
丸に「委」って、なに?
「江鈞子」でググったら、、、、。
見つかりはするけど、画像やPDFの文字認識誤りと思われるものが大半だな。
「江鉤子」もあるな。
おっと、あったね。
これは自動認識じゃないよな?
「鈞」を出す方が難しい気がするが。。。
さて、当時910円区間は、現在1690円。
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(参照)
・(「江鈞子」表記あり)過疎地域における生活環境の向上のための広域的連携のあり方に関する調査研究報告書(日本財団図書館)
・エラー券(誤植)の記事(菅沼天虎の紙屑談義)
風景印 福地山中ノ郵便局(京都)
2022.11.15 |Category …郵便で、…
福知山中ノ郵便局
〒620-0037 京都府福知山市中ノ30-8
使用開始:2019年1月4日
2020年のHNK大河ドラマが、明智光秀の「麒麟が来る」となったことから、それに合わせての意匠変更。
福知山市の花「桔梗」の5片のガクを外枠として、明智光秀が築いた福知山城を奥に配し、明智光秀が祀られている御霊神社を左に、そして福知山城大改修時に起源を持つのかもしれないとされる福知山踊りを、福知山ドッコイセまつりにおいて正装で踊っている風景が描かれている。
ドッコイセまつりでの、というのは独断。
動画をいくつか見たが、2列になって踊っているは、ドッコイセまつりでしら見られなかった、ので。
また、福知山中ノ郵便局による解説だと、この衣装は正装。
正装とは、揃いの浴衣に帯、編笠、白足袋、草履。
正装を描いているなら、足元まで描いて欲しかった、なぁ~、と。
それと笠、動画を見ると折編笠ってやつですよね?
風景印の、違ってません?
福知山城は、変更前意匠と同じ東側(?)から見たっぽい書き方だが、写実性より抽象的に図案化した模様、なのかな?
御霊神社は、、、これは、よう分からん。
本当に御霊神社なんだろうか、と思ってしまう。
局の解説に「御霊神社」と書いてあるから、間違いなく御霊神社であって、私がとやかく言うことではない。
が。
行ったことが無いので、画像を色々見てみたが、どれを見ても御霊神社には見えんぞ。
正面に三角の破風(?)があるのは、、、これ、本殿?
赤い拝殿を小さく描いて、裏にある本殿を大きく描いている、のか?
斜め線の石垣みたいなものは、なんだ?
なんか、違うなぁ。。。。
あ~、イライラする。
以上、決して、苦情等を申し上げているわけではありませんので。
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(参照)
・福知山中ノ郵便局(日本郵便)
・市章・キャラクター(福知山市)
・明智光秀を無実として祀る『御霊神社』は願いが叶うパワースポット(福地NaNi)
・福知山城
・福知山音頭と踊(福知山市)
・福知山ドッコイセまつり(福知山商工会議所)
・笠(コトバンク)
風景印 楢下郵便局(山形県)
2022.11.14 |Category …郵便で、…
ならげ
楢下郵便局
かみのやま
〒999-3225 山形県上山市楢下15
使用開始:2020年3月16日
平棚仕立栽培をしている上山市の特産品ラ・フランスを外枠に、国指定の史跡羽州街道楢下宿金山越の古民家と眼鏡橋、佐竹藩により整備されていた羽州街道を参勤交代で通るときに村の女性がもてなしとして踊ったといわれる楢下地区伝統とっくり踊りと、眼鏡橋の上に旧正月に藁で作られた"けんだい"を着て練り歩く奇祭・加勢鳥(かせどり)が描かれている。
デザインは東北芸術工科大学グラフィックデザイン学科の教授による監修のもと、3名の学生によってなされた。
郵頼すると、詳細な説明書がついてくる、模様。
風景印の「ナラ」の字は、「楢」ではなく「楢」 が使われている。
そもそ局舎の字も「八」じゃない方だから、後者が公式と思われる。
ま、どっちが正しいとかの問題ではなく、フォントの問題だけど。
だが、フォントを変えないと表現できないのは、なんとも面白くない。
それにしても、ググってみて思ったのは、上山市、もっといろいろプッシュしては、いかがだろうか。
ま、上山市に限ったことではないし、余計なお世話だが。
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(参照)
・楢下郵便局(日本郵便)
・楢下郵便局局舎(ストリートビュー)
・上山市ラ・フランスセレクション(食味コンテスト)
・国史跡羽州街道楢下宿金山越
・楢下宿(山形県)
・楢下宿で受け継がれる♪とっくり踊り♪(特定非営利活動法人上山まちづくり塾)
・上山市民俗行事「加勢鳥」保存会
・東北芸術工科大学グラフィックデザイン学科
・地域の魅力が詰まった郵便局の風景印をデザイン[東北芸術工科大学](大学受験パスナビ)
・「楢」の字問題(ヤフー知恵袋)
また解体
2022.11.12 |Category …北上で、…
北上郵便局の隣の家屋が解体されていた。
あちらこちらで解体を目にする。
最近、たまたまかもしらんが、いわて解体サービスののぼりをよく見る。
この家屋のことは分からないが、高齢者が亡くなり、そのまま空き家になって、解体されていると聞くことが、多くなった気がする。
この解体家屋の手前の空き地とクリーム色の家の場所は、もと郷社・雷神社あった場所である。
この絵葉書の奥の建物と、上の画像の解体中の家屋とは位置も近く骨組みも似ているが、別の建物である。
同じだったら、面白かったが。
どこもそうだが、九年橋からずーーっと道なりに、黒北前を通って常盤台までは、商店の多い道だが、ずいぶん様変わりしたな~と、改めて思う。