三つ折りの鬼剣舞のパンプレット。
折った2つずつで構成されている。
いつの頃か判りませんが、「きたかみへの旅・ご案内」には、東京-花巻空港間1時間半とあり、大阪万博の出演写真が載っていますので、その間であることは間違いないでしょうが、さて、いつでしょ。
以下、パンフに書かれている文。
鬼面に毛菜(けさい)をかぶり、腰には大口袴に剣をはき、鎖帷子、手甲、たすきがけといった異様ないでたちで激しく踊る鬼剣舞は、全国数ある郷土芸能のなかでも、勇壮で華麗な踊りを展開する芸能として、現代人の心を強くゆさぶります。岩手県北上市を中心に県内に広く伝承されているこの芸能は、仏道にささげる念仏舞として世に伝えられましたが、戦国の世にこの地を支配した豪族によって、がいせん踊として踊りを改め、広めたのが初めてとされております。
全国各地の民俗芸能大会で紹介され、東京オリンピックや万国博覧会の晴れの舞台に出演した鬼剣舞は、いまでは舞踏家や演劇人によって、国内はもとより、世界各地にその踊りが公開されています。
”けんばい”さまざま
岩手県の南部には「けんばい」で総称される「鬼けんばい」とか「念仏けんばい」「ひな子けんばい」が集中的に踊られていますが、なかでも衣川村の川西見物剣舞、江刺市の原体(はらたい)念仏剣舞、北上市の二子鬼剣舞、和賀町の岩崎鬼剣舞、煤孫の雛子剣舞が広く知られております。
北上地方に伝承されている剣舞は、大同年間(806~809)に羽黒山の法師が勤行のおりに、悪魔退散、衆生済度の念仏踊として伝えたとか、康平の頃(1058~1064)に安倍頼時の子黒沢尻五郎正任が、この踊りを好み、将兵にがいせん踊として奨励したのが広く伝わったとかという由来があります。
「けんばい」についての語義には異説が多くありますが、一般に剣をとることから転訛した説や大地を踏み鎮める反閉(へんばい)の型の言葉が剣と結びついたのだなどといわていおります。
北上周辺の鬼剣舞には、念仏剣舞にみられる道化面のカッカタ、少年少女の銅取り(太鼓役)ササラがなく、太鼓、笛、手平鉦のはやしのみで激しく踊られます。装束には一見番楽(秋田、山形に多い山伏系神楽)の影響があるともいわれ、また、青、白、赤、黒の四色の鬼面の色は、五人の仏像を色でかたどる青(東)、白(西)、赤(南)、黒(北)、黄(中央)の五色の色からとったのではないかといわれています。左手には菩提心をあらわす金剛杵をはさみ、ときには御幣をもって踊ります。
踊りの数は多くて18種目、一般的には12種目が踊られます。踊りの多くは、一番庭のように、引き念仏、早念仏、せんや念仏を唱えての輪おどりを展開しますが、二子組にみられる三人加護は、祈祷性の強まった踊りであり、また太刀踊の狂いなどのように武技をおもわせるもの、あるいは膳舞のように曲芸の要素の入った踊りもあります。
北上地方で現在踊られている鬼剣舞は、岩崎組の系列に入るものとて岩崎、長沼(和賀町)、御免町(江釣子村)、鬼柳、相去、口内(北上市)、の各踊組があり、滑田組の系列に滑田(江釣子村)、二子、飯豊(北上市)、の各踊組があります。
一方、念仏剣舞、川西組に並ぶものとして立花組(北上市)があり、また平泉以前の文化の興隆地でふる極楽寺付近に伝えられる門岡組(北上市)が踊られている。
鬼剣舞が若い男の青年芸とすれば、乙女のたずさわるものに雛子剣舞があります、その振りは優雅できらびやかなもの、煤孫、道地(和賀町)、飯豊(北上市)、玉里(江刺市)に伝えられてます。
各踊組とも、おもに盆とか秋祭りに神社に奉納されますが、各地で好評の鬼剣舞の場合は、求められればいかなる行事に対しても年中通じて出演できる体制ができております。
北上市ではこの代表的な郷土芸能"鬼剣舞"に中心に、鹿踊、神楽、田植踊など各種の伝統芸能を保存育成するために、毎年8月15・16両日“みちのく郷土芸能まつり”として、市内各地でにぎやかに講演されておりますが、いまでは岩手県内最大の観光行事として全国的に有名です。
(青-しょう、白-びゃく、赤-しゃく、黒-こく、黄-おう、と読みます)
踊り組
二子鬼剣舞
飯豊鬼剣舞
鬼柳鬼剣舞
相去鬼剣舞
口内鬼剣舞
岩崎鬼剣舞
長沼鬼剣舞
滑田鬼剣舞
御免町鬼剣舞
踊り種目
①一番庭 ②二番庭 ③三番庭 ④太刀振込み ⑤八人加護 ⑥一人加護(その一、その二) ⑧三人加護 ⑨膳舞 ⑩宙返り ⑪扇合せ ⑫調子躍(三番庭の狂踊) ⑬太刀踊の狂い ⑭八人加護のくずし ⑮ムギリ ⑯カニムクリ ⑰狐剣舞
[2回]
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