鬼剣舞?
2022.08.01 |Category …北上で、…
(間違いがあったので夜に修正、はっず。誤字脱字はしょっちゅうだけど、見間違いによる一人スパイラルに入っていた。。。)
今日の毎日新聞、今日だけじゃないけどさ、岩手県版(東北)のページ、岩手県のニュースがほぼ無い。
なんだかな~、なんだけど、今日は気になる写真があった。
八戸酒造の「おまつり空間展」の写真に、鬼剣舞がしっかり写ってた。
なぜ?
何で、と思って記事を読んだが、鬼剣舞の"お”の字も出てこない。
岩手県のページに載せるんだからさ、なんか説明があってもいいんじゃないかなぁ~。。。
でだ、調べてみたら、笹りんどうの鬼剣舞だとはっきりわかる画像があった。
戸(への)のつく町から...(7/29)
これ、北上の鬼剣舞だよね。
で、この正体は、ここで判った。
八戸三社大祭 鍛冶町附祭若者連(公式)facebook (2019.8.11)
これによると、「古代みちのく絵巻 坂上田村麻呂奇譚」を製作した鍛冶町スタッフの思いとして、坂上田村麻呂と阿弖流為を鎮魂する目的で、二人の戦いの地となった奥州市付近に伝わる鬼剣舞を、鎮魂の所作が見られることから、山車に2体乗せることにした、ということだった。
それで、鬼剣舞。
あれ、ちょいとお待ち。
確かに水沢にも鬼剣舞はある。
あるけど、胸当ては笹りんどうじゃないぞ。
朴ノ木沢念仏剣舞は〇に朴で、川西大念佛剣舞は何もなく黒一色。
笹りんどうは岩崎鬼剣舞とか、北上の鬼剣舞、だよね?
で、笹りんどうは和賀氏嫡流の紋らしいから、阿弖流為の時代より後だし、ね~。
阿弖流為が降伏したのは802年、和賀氏は今の大河ドラマの時代の事だし、ね~。
まぁ、鎮魂だから、何年後でも問題はないかぁ、確かに。
まぁ、細かいことはいいか~、余計なお世話だよな。
でも、胸当てには、何も付けなきゃよかったね~、とは、個人的には思う。
ついでに気になりだしのは、鬼剣舞の基となった念仏を唱えながらの踊りを始めた修験の祖・役の行者小角は分かるとして、鬼剣舞を伝えたという羽黒山の法印・善行院、、、て、だれ?
伝えたのは大同年間(806~810年)ということだけど、坊主の位である法印とは、僧綱(そうごう)の最上位で、定められたのは864年とあるぞ。
もしそうなら大同年間には法印は居ないことになるぞ。
しかも、最初は空海、最澄、真雅の三人とある。
ビッグネームじゃねぇか。
だんだんと程度が下がるのは世の常だが。
善行院の法印とは自称じゃぁねぇか?
これ、ペテンか?
(あ、いいすぎ、根拠ないし、言い伝えだし。。。)
で、更にググってたら、権大僧都法印善行院忠慶というのが出てきた。
仏と鬼-躍動する剣舞-
法印・善行院とは、この人の事らしい。
権大僧都法印善行院忠慶って、北上市史に出てるのかな、もしかして。
あ~、市史は全編電子化して、全市民が活用できるようにしてくれないかな。
OpenAPIって、そういうことだよね。
違うか。
しかも話が飛び過ぎか。
話を戻して、「権大僧都法印善行院忠慶」だとすると、更に?だ、わたし的には。
位の事は分からんけど、僧位・僧官の表がWikipediaに出てた。
僧綱(そうごう)
権大僧都法印善行院忠慶が、権大僧都/法印/善行院忠慶だとすると、僧官に「権大僧都」があるが、この権大僧都という僧官は僧位としては法印より下の法眼に属する位だ。
そうすると、権大僧都法印は、メチャクチャな感じ。
う~ん。
考えるのは楽しいが、知識なさすぎ。。。
しかも八戸三社大祭には、どうでもいいこと。
鎮魂鎮魂、鎮魂のみ。
気持ちの問題。
ちなみに、山車の鬼剣舞はYoutubeで確認できた。
鍛冶町附祭若者連 古代みちのく絵巻 坂上田村麻呂奇譚は、2:40:50頃から。
鬼剣舞は2:43:40頃から見られる。
https://www.youtube.com/watch?v=wVDkoTJ4PnQ
なんか、すごく唐突だけど、とにかく、採用、ありがとう!