直播
2009.05.03 |Category …北上で、…
直播?
え? って、思いました。
今、稲作の直播は最新技術なんだそうです。
直播とは種籾を直接水田に播くという手法で、苗を作ってから植えるというものではありません。
それって、昔に戻っただけじゃ?
そもそも稲は種から育つんだから、種まくのは自然な気がする。
だから、え? って思った。
ところが、日本で稲作が始まった当初から、農法は「播き」ではなく「植え」であったらしい。
http://www.city.fujiidera.lg.jp/9,1137,98,149.html
検索してみたら、日本農業新聞(北海道版)の1991年水稲直播関連記事一覧、ってのがあった。
http://www.cryo.affrc.go.jp/chokuhan/02chokuhan/news/news99.htm
20年前からあるんですね。
驚きました。
種籾を鉄でコーティングするなんて方法まである!
http://wenarc.naro.affrc.go.jp/seika/seika_print/wenarc_news/11/p7.pdf
こんなの見ると、私なんか、まさに先端技術って感じてしまう。
更にエコな古紙を利用したゼオライト紙封じ込め種子、なんてのも平成6年に特許申請されている。
http://www.j-tokkyo.com/1996/A01C/JP08023714.shtml
いやいや、すごいですね。
調べりゃたくさん出てくる。
直播の最大の利点は、苗を作らないことによる時間と経費と労働力の削減にあるようだ。
空いた時間に別の農産物に手を回せることで、農家の収益アップにつながる。
問題は収量が下がること。
個々の農家のことは分からないが、素人の私なんかには、放置された農作地が増えており問題化しているとんだったら、それら農地も直播水田にて、つまり作付面積を増やして収量を補えばいいじゃんか、って思ってしまいますが。
そうすれば、水を張った水田も増え、農村風景らしくなり、景観もよくなり、里山観光につながる、なんて単純に考えちゃいます。
ま、素人考えですから。
他にも田を耕さない農法もあるそうですし、県の施設内には農業資料館?もあって、古い農具も展示されていたと思うので、北上なら、農業経験の修学旅行として、様々な農法体験を提供することも可能ではありませんか?
そう思うと、農業高校を花巻に持って行かれたのは、やっぱり残念。
理容プラージュ 北上店
2009.05.02 |Category …北上で、…
それを見ていると「プラージュ」という検索がよく見られる。
それだけプラージュを検索している人がいるっていうことだろうから、自分の経験をもとに、プラージュ北上店の紹介をちょこっとだけしようかしら、と。
ただ、もし間違っていたら御免なさい。
私は別にプラージュさんとは何の関係もありませんし。
万が一、プラージュ関係者が見ていて、間違いがありましたら、訂正のコメントでも、お願いします。
cut-Aと同じような店構えと料金ですが、cut-Aとはシステムが異なります。
私もこういうシステムは初めてだったので、初めてカットに行ったときは戸惑いました。
支払はカットとシャンプーが終わってからです。
場所:http://local.goo.ne.jp/iwate/shopID_nttbis-03-11004/
駐車場はあります。10数台?
隣が現在更地になっていますので、今ならかなり駐車可能(?)
受付:8時30分より19時30分まで
スタッフがいれば7時30分より対応することもあるとのこと
散髪席9、洗髪席3、仕上げ席1
作業ごとに席を移ります。メガネは自分で持って移動します。
店内に入ると、散髪席が空いている限り、何番に座るようにとの声がかかります。
満席の時は待ち席(長椅子)に座って待ちます。
外套などは入ってすぐ左にかけるところがあります。
待ち席は3列あり、一番前の短いのは、洗髪の待ち席。
真ん中の長椅子が散髪の待ち席。
一番後ろの窓際は、子供をカットに連れてきて、自分はカットせずに待っているような場合の待ち席です。
(だと思う。自分はそうした)
プラージュ(阪南理容美容株式会社)のHP:http://hp.rhp.jp/~plagehannan/
最初、場所を勘違いして見つけられなかった時に、本社のホームページを見れば、場所や営業時間やサービス内容が分かるかと思ったが、全然分からなかった。
年商日本一を看板に掲げているんだから、これから利用したいと思った人への情報提供っつーもんがあっても、良いのではないだろうか、と思うんですけど。
こんなところにも北上の資料が・・・
2009.05.02 |Category …北上で、…
本来なら日本人自らが「もったいない」を思想化すべきところなんでしょうが、根本的に確たる思想を持たないが故に(?)、「もったいない」を世界に通用する思想にできなかったんでしょうか。
それにしても、今回の件は日本人の考え方が、世界に通用することと、日本人がそれを示させないことの顕著な例を見せられたような気もする。
この「もったいない」の解説を中東バーレーンでも、「勿体」という本質的な活を表わす言葉と、「無い」という欠如を表わす言葉の組み合わせである、とバーレーン大の先生が紹介していることを新聞で読んだりすると、う~ん、と思ってしまう。
それで思い出したのが、以前、教育委員会が発行した遺跡調査報告書を検索していた時に、
http://juc.lib.cam.ac.uk/spcat/spcat.cgi?mode=3&BID=BN01942137&country=eng
がヒットした。
cam.ac.ukって、イギリスのケンブリッジ大学?
http://www.cam.ac.uk/ って打つと、確かにケンブリッジ大学である。
今回ブログを書くにあたって見に行ったら、なんと今年はちょうど800年目にあたるようだ。
800年続いた大学である。
その根底に脈々と流れているであろう何かを考えると、日本の大学とはケタが違うスケールを感じてしまった。
その大学の図書館が北上市の発掘調査報告書を所蔵しているのである。
あっちから見たら、東の隅っこの、そのまた隅っこの報告書であろう。
そう思うとますます驚きと感心とを感じる。
世界の大学は結構日本の、それも結構細かいことを、世界という土俵の上で研究しているんだなぁと、感慨深い。
今人的には、そんにことを思い出した、マータイさんへの授与であった。