宮城の
文字(もんじ)郵便局が風景印を配備した。
使用開始日:平成30年1月9日
所在地:〒989-5361
宮城県栗原市栗駒文字下川原24-4
意匠:
文字甚句を踊る姿、
長屋門、
栗駒山の駒姿が描かれている。
栗駒山の馬の雪形の画像は、「
デジタル写真日記さん」さんにあった。
郵頼の押印と共に、くりはら「史跡マップ」001が添付されてました。
風景印の題材に使われているものにはピンクのラインマーカーで印が付いていました。
以下、書き下しました。
文字
栗駒山のすそ野の里に点在する長屋門
長屋門は門形式の一つ
長屋門とは
近世諸大名の武家屋敷門として発生し、江戸時代に陣屋の正門として多く建造され、門の両袖が長屋のように仕切られ、門番や仲間部屋として、家臣・使用人の居所などに利用されていため長屋門と呼ぱれています。
その後大名だけでなく、有力武士の武家住宅の表門として利用され、明治以後は、富農の家屋敷にも作られるようになった。長屋はその家に仕えた者が住む部屋や農具を収納する物置、作業所として用いられた。
栗原の長屋門
栗原市内に残る長屋門も例外ではなく、昔から田・畑・山林の経営面積の多い豊かな農家に多く見られ、農業作業場であり、農家の作男(農業専従者)の住居でもあった。
また、長屋門を持つ農家の主人の多くは肝入り(村長)、三役、校長等その地域の要職に従事していた場合も多く、作男を年棒により雇い入れ耕作地の経営にあたっていた。
作男は小作農民や次男、三男などが主であったが夫婦で従事する者など様々で、その年棒は年間、米10俵から多い場合では20俵と、その働きに応じ支払われ、住居と食事は支給されていたことから、作男を10年勤めあげると、新居を構え独立することもできたほどであったといわれる。
長屋門の地域性
国定公園栗駒山を源に、栗原市内を流れる一迫川・二迫川水系(秋田越え街道沿い)には今なお多くの長屋門が残っている。
しかし三迫川水系である栗駒地域(旧栗駒村)には「駒形根神社中門(御駒様)より立派な門は造ってはならぬ」と、なっていたため、唯一この地域に長屋門は見あたらない。
文字地域の長屋門
ここに紹介する二迫川水系の文字地域は、伊達領から羽後秋田への交通の要所として古くから開けていた文字地区には、番所門、街道沿いにみられる旧家の土蔵や門など、歴史を物語る数々の道跡が今も残され、「文字甚句」・「神楽」・「正藍染」・「謡曲」などの上方の流れを組む文化も数多く形成・伝承されています。
今なお10軒に1軒の割合で長屋門が建つ地域で、米文化の名残と豊かだった農村の風景が残る貴重な地域である。
文字甚句
仙台、秋田を結ぶ要所として多くの文化が往来した文字地区に、京都の祇園祭に由来する踊りが伝わり、それが「文字甚句」に変化したといわれています。農村の娯楽として親しまれ、戦後、村の古老の指導を受けた故菅原信一さんの努力により現在の姿に再現されました。
現在、文字甚句は宮城県を代表する民謡として親しまれています。
栗駒山
東北地方の中心部に位置し、宮城、岩手、秋田の三県にまたがる栗駒山は、標高1627メートル、円錐形の裾野を持った休火山です。
山肌にはブナの原生林や湿原、渓谷、雪渓が広がり、数多くの動植物が生息する自然の宝庫で、一帯は国定公園に指定されています。
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