第18回埋蔵文化展 発掘調査報告会
2011.01.08 |Category …北上で、…
平成23年1月8日土曜日
午後1時~3時
日本詩歌文学館 講堂
入場無料
追記(1/9)
聴きに行ってきましたです。
報告は前半が縄文時代の館Ⅳ遺跡、平安時代の国見山廃寺跡、戦国時代の岩崎城跡、江戸時代の浮牛城跡と時代的に富んでいて楽しめました。
後半は先日に新聞にも載りました人面土器のお話で、興味深かったですね。
とは言え、いつの間にか意識が途切れていましたが・・・
館Ⅳ遺跡では、6000年前は狩場だったところが4000年前には集落になっていたこと、更に400年前の集落跡も見られるとのことで、時と共に人間の営みの変化、また古代より脈々とこの地で命が継がれてきたのだなぁと感じられました。
国見山廃寺では火山灰が見つかり時代特定が可能になり、他地域の資料と比較が可能になったそうです。
また置きカマドの跡ではないかと思われる円形の焼き面が見つかり、寺の造営のために西日本から技術者が来ていた可能性が出てきたそうです。
西日本から・・・、当然と言えば当然な話ですけど、その証拠となるかもしれないんですねぇ。
岩崎城跡では柱穴から硯、天目茶碗の欠片、キセルなんかが見つかったそうです。
有力者の屋敷が建っていたのではないかとの指摘でした。
堀の西側の調査で、いい意味で予想に反した結果だったよです。
浮牛城跡では、江戸期の城絵図が示されました。
あ~、あるんだなぁ、と、当たり前なんでしょうけど、と、思いました。
浮牛城は位地的に南部と伊達の堺にあり、その歴史に興味をそそられました、です。
後半は人面刻書土器のお話です。
人面土器は通常墨書きですが、これは焼く前にへらで描いたもの。
県内で人面土器は胆沢城跡と柳之御所跡からの計3点のみでしたが、いずれも墨書き。
刻書は県内初であるばかりか、全国的にも2例目のようです。
鼻の下に溝が付けられていることから、仏の顔ではないか、との事でした。
墨書きの人面土器も沢山示していただきました。
結構ユーモラスに描かれているんだなぁと思いました。
『東北地方の人面墨書土器-その分布と出現の背景-』という論文が、東北芸術工科大学紀要No.12に掲載されていて、ネット上で見られました。 沢山、例が載っています。
昨日報告会で見て、おもしれぇ~、と思ったのは載っていませんでしたが。