駅弁 掛け紙 後藤商店 古可゙祢毛知
2016.12.25 |Category …北上で、…
黒沢尻駅後藤商店 名物「古可゙祢毛知」 定価10銭。
こがねもち、ね。
縦に四角い切り餅ですかね。
餅の上に餡子でも載ってたんですかね。
どんな弁当だったんだろ。
「もち」は普通に読めるけど「古可゙祢」がね~。
時代的なものだろうが、いつのかね。
大正8年の「御寿し」の掛け紙と比較すると。。。
よくわからんな。。。
この図だと「軽」、先のは「輕」で古い。
この図だと「道」はしんにょうは点二つの「辶」に対し、先のは点一つの「辶」だ。
この図だと「沢」、先のは「澤」。
この図だと「﨑」で、先のは「嵜」。
う~ん、どっちだろ。
「盛岡州脇石印」ってどっちの掛け紙にもあるが、これって印刷したところ?
石版印刷でつくった?
同じところで作ったとして使ってる字が違うのは何故?
デザイナーの違い?
まぁ、最初に使い始めたのが、いつかにもよるか。
先のは図は「鉄」で脇の注意書きは「鐵」と、同じ掛け紙の中でも使う字体が違う。。。
注意書きは、以前からのをそのまま使ったのか。。。
それと、鉄道の地図は以前は「上り」を上に、つまり一ノ関を上に書いていたが、これは北の盛岡が上に描かれている。
それよりも。
ここには岩手軽便、仙人までの軽便鉄道(和賀軽便)、岩谷堂までの馬車鉄道(胆江軌道)が書かれている。
それぞれ、営業期間は大正2年~昭和11年、明治40年~大正11年、大正5年~昭和3年。
ということは、この掛け紙が使われたのは、3つの鉄道が3つとも営業していた大正5年から11年までの6~7年間。
すると先の大正8年の掛け紙は、まさにこの期間のど真ん中ということになるな。
当然この「こがねもち」掛け紙もこの期間だな。
そうなんだ。
大正期も「古可゙祢」は普通に「こがね」って読めるんですね。
そうなんだ。
(追記12.27)
当時?の横黒線(現・北上線)案内では、土地名物として桜羊羹、金山おこしとともに、こがねもちが有名だとの記述がある。
あ~、どんなのか気になる~。