こんなレコード、あったんだぁ。
北上観光協会推薦、日本コロムビア株式会社製造、正時堂発売。
650円。
いつ頃のだろ。
「正時堂発売」と入っているところが、すごい、というか時代なのか。
正時堂というと、わしが初めてレコードを買ったお店で、泉谷しげるの「おー脳!!」が入ったアルバムだったなぁ、確か・・・。
(「おー脳!!」の歌詞:
http://j-lyric.net/artist/a00071e/l020b92.html)
展勝地の写真が凄いなぁ~
桜並木、長い!
折角なので解説全文を以下に。
<A面>
鬼剣舞(おにけんばい)
鬼面に毛菜をかぶり、腰には大口袴に剣をはき、鎖帷子、手甲、たすきがけといった異様ないでたちで激しく踊る鬼剣舞は、全国数ある郷土芸能のなかでも、勇壮で華麗な踊りを展開する芸能として、現代人の心を強くゆさぶります。岩手県北上市を中心に県内に広く伝承されているこの芸能は、仏道にささげる念仏踊として既に伝えられましたが、戦国の世にこの地を支配した豪族によって、がいせん踊として踊りを改め、広めたのが初めとされております。
全国各地の民俗芸能大会で紹介され、東京オリンピックや万国博覧会の晴れの舞台に出演した鬼剣舞は、いまでは舞踊家や演劇人によって、国内はもとより、世界各地にその踊りが公聞されています。
”けんばい”さまざま
岩手県の南部には、「けんばい」で総称される「鬼けんばい」とか「念仏けんばい」「雛子け
んばい」が集中的に踊られていますが、なかでも衣川村の川西念仏剣舞、江刺市の原体念仏剣舞、北上市の二子鬼剣舞、和賀町の岩崎鬼剣舞、煤孫雛子剣舞が広く知られております。
北上地方に伝承されている剣舞は、大同年間(806~809)に羽黒山の法師が勤行のおりに、悪魔退散、衆生済度の念仏踊として伝えたとか、康平の頃(1058~1064)に安倍頼時の子、黒沢尻五郎正任が、この踊りを好み、将兵にがいせん踊として奨励したのが広く伝わったとかいう由来があります。
「けんばい」についての語義には異脱が多くありますが、一般に剣をとることから転訛した説や大地を踏みしずめる反閉の型の言葉が剣と結びついたのだなどといい伝えられております。
北上周辺の鬼剣舞には、念仏剣舞にみられる道化面のカッカタ、少年少女の胴取り(太鼓役)、ササラがなく、太鼓、苗、手平鉦のおはやしのみで激しく踊られます。装束には一見番楽(秋田、山形に多い山伏系神楽)の影響があるともいわれ、また、青、白、赤、黒の4色の鬼面の色は、五人の仏像を色でかたどる青(東)、白(西)、赤(南)、黒(北)、黄(中央)の5
色の色からとったのではないかといわれています。左手には菩提心をあらわす金剛杵をはさみ、ときには御幣をもって踊ります。
踊りの数は多くて18種目、一般的には12種目が踊られます。踊りの多くは、一番庭のように、引き念仏、早念仏、せんや念仏を唱えての輪おどりを展開しますが、二子組にみられる三人加護は、祈祷性の強まった踊りであり、また刀剣舞のくずしなどのように武技をおもわせるもの、あるいは膳舞のように曲芸の要素の入った踊りもあります。
北上地方で現在踊られている鬼剣舞は、岩崎組の系列に入るものとして、岩崎、長沼(和賀町)、御免町(江釣子村)、鬼柳、相去、口内(北上市)の各踊組があり、滑田組の系列に滑田(江釣子村)、二子、飯豊(北上市)の各踊組があります。
一方、念仏剣舞では、川西組に並ぶものとして立花組(北上市)があり、また平泉以前の文化の興隆地である極楽寺附近に伝えられている門岡組(北上市)が踊られています。鬼剣舞が若い男の青年芸とすれば、乙女のたずさわるものに雛子剣舞があります。その振りは優雅できらびやかなもので、煤孫、道地(和賀町)、飯豊(北上市)、玉里(江刺市)に伝えられています。
各踊組とも、おもにお盆とか秋祭りに神社に奉納されますが、各地で好評の鬼剣舞の場合は、求めればいかなる行事にも年中通して出演できる体制ができております。
北上市ではこの代表的な郷土芸能鬼剣舞を中心に、鹿踊、神楽、田植踊など各種の伝統芸能を保存育成するために、毎年8月15、16両日”みちのく郷土芸能まつり”として、市内各地でにぎやかに公演されておりますが、いまでは岩手県内最大の観光行事として全国的に有名です。
〔踊り種目の解説〕
寄せ 鬼剣舞の踊りの開始をつげるはやしで、踊り手たちを踊りの所定の位置にさそい寄せます。
一番庭 踊りの最初に行なわれる儀礼の舞いで、念仏を唱えながら静かに踊られ、次第に激しい踊りに展関していきます。
扇合せ この踊りは、舞扇を巧みに組み合わせて、華麗な所作をみせます。男性的な踊り種目の中に、柔和な一面をのぞかせる踊りといえましょう。
力剣舞の狂い 太刀をふりかざして踊るこの踊りは、武技をおもわせる勇壮な踊りです。しのぎを削る太刀さばきの中に、戦国の世の武士の面影をしのばせます。
三人加護 ほとんどが8人で踊られるのに対し、この踊りは3人によって鬼剣舞の典型的な踊りを展開します。祈禱舞といわれるこの種目は、扇の舞にはじまり、ご幣をかざす幣舞、そして神楽拍子にはやしがかわって激しく跳躍する素手の舞によって終わります。息をもつかせぬ激しい所作の連続に、この芸能の真随をおみせすることができましょう。
〈B面〉
展勝地小唄(てんしょうちこうた)
岩手を縦断する北上川が大河となり、雄大な流れをみせる北上市周辺は、川とそれに平行して走る山脈との起伏が巧みに調和して、その自然的景観はまことにすばらしいものがあります。市立公園展展勝地は、この環境を生かして川沿いおよそ2粁に植樹された桜並木が中心となっている公園です。
大正9年、まちの有志沢藤幸治によって発案され、当時の総理原敬の援助をうけて造園されたこの公園は日本の国花を紹介するにふさわしい規模で計画されました。すなわち各種の桜を北上川沿いを中心に表側に千本、北上山系地内、いわば裏側に千本を植樹しようというもので、50余年をへた今日、この計画は見事に開花して、4月下旬から5月初めにかけてのシーズンには、東北で一、二を争う桜の景勝地として、訪れる客でにぎわいをみせております。
最近、東北の観光地化が進むにつれて、この公園も四季を通じての公園に性格を変えてきており、とくに関東、関西方面から訪れる客の多くなった栗駒国定公園夏油温泉の後背地として、各種の人工的な設備の必要がせまられてきております。このために近来とみに公共投資が活発化し、園地内に桜をはじめ、つつじふじ、はぎなどが植樹され、またドライバーのために山頂を走る観光道路の建設、あるいは遊歩道、展望施設の建設など、基幹的な施設に対する投資が続けられております。
一方、園地の一角には、先祖の伝えた遺物を保存する収蔵庫゛北上考古館゛が建てられており、さらにこれに近接して博物館の建設や重要文化財の民家の移築なども実現する見通しになりました。
このように、この公園は家族づれの遊園公園としてのみでなく、文化的施設を兼ねそなえた総合公園として、春は桜とつつじ、夏はハイキングキャンプ地、秋は紅葉、冬はスキーなどを介して、四季を通じての市立公園となる日も間近かです。
なお、展勝地に隣接して史跡公園国見山がありますが、この公園は平泉文化以前に栄えた仏教文化の根拠地として、当時の国営に準じた寺、極楽寺にまつわる各種の遺跡や時宗の開祖一遍上人の祖父河野通信の墳墓、樺山ストンサークルなど多くの史跡のある地域です。いま風土記の丘として国の史跡公園指定の運動が行なわれております。
展勝地小唄は、この公園を唄った新作民謡です。
さんさ踊
盆踊りの種類が数多い岩手県ですが、著名なものに北岩手地方の゛ナギャドヤラ゛、盛岡市、紫波郡、岩手郡を中心として下閉伊郡、和賀郡の一部にも踊られている゛さんさ踊゛、鹿角から花輪線にそって沼宮内附近に多く踊られている゛甚句踊゛、久慈市を中心に近辺に盛んな゛久慈盆踊゛、気仙地方の゛遠島甚句゛などがあります。このなかでとくに有名な盆l踊りは゛さんさ踊゛と ゛ナギャドヤラ゛でしょう。
さんさ踊には、多くの伝説がありますが、信仰心の薄い農民をうれい、寺の坊さんがあみ出した゛坊主帰り゛という踊りが、この源流であるなどと伝えられています。お盆になると、農作業の疲れをふきとばすかのように、老いも若きも、男も女も太鼓と笛のはやしにのせて、急調のテンポで踊り狂います。花笠を左右に動かし、腰をあでやかにふり廻わすこの踊りの中から、岩手のきびしい風上に育つ農民の素朴ながらも激しくしかも美しい気質を知ることができるでしょう。
この踊りは盛岡市太田や紫波郡地方に集中的に踊られておりますが、いまでは郷土芸能としてそれぞれの踊組を構成し、専門化の傾向にあります。しかし大衆的な盆踊りとして伝承していくために、名地で観光行事にとり入れて、保存普及のために努力がはらわれております。
北上市小鳥崎部落に伝わるさんさ踊は、その伝承過程ははっきりしておりません。盛岡地方の踊りと同系統のものですが、長い伝統の中に独自の踊りの型を作り出しております。北上市の夏まつり行事゛みちのく郷土芸能まつり゛には、二千人以上の各階層の市民がまちいっぱいにこの踊りを展開し、岩手の夏の風物詩をかなでております。
以上ですが、交通の紹介では、東京から特急で5時間半、急行で7時間とある。
高速のインターチェンジが出来るとあるので、まだ出来ていないのでしょう。
「汽車」という表現があるな、時代だな。
「東北の古都平泉」ともある。
花巻空港までバスで15分とあるが、15分じゃ着かないよね・・・。
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