陸中川尻は平和街道の中間に位する本線中の主邑で驛附近に旅館三軒整備し驛の勢力圏内に土畑、赤石、鷲ノ巣等の鑛山を有して各種生産品も多く就中鑛石(年額三一五,五七二貫)木炭(同四〇五、七五〇貫)木材(同一、〇〇〇石)等その主なるものである。
土畑鑛山は南方一里、赤石鑛山へは西方二里、鷲ノ巣鑛山へ東一里十八丁で何れも交通の便はないが現在産出量多く活況を呈して居る。
以上各鑛山は欧州戰争開始當時銅價の奔騰に惠まれて異常の殷賑を呈し大正六、七年の最盛期には其鑛區數七五ヶ所、坪數二千五百萬坪、試掘鑛道六十ヶ所三千萬坪と云ふ數字を示したが越えて九年銅價の暴落に逢つて各鑛山共に悲境に陥り採掘量の低下を見るに至つたものである。
當地方唯一の温泉である湯本は驛を距る西一里連巒に圍まれた静寂過ぎる幽雅の環境で泉質は、鹽類泉胃膓病に主効があると謂はれ行遊者が多い。
夏季中自動車の便あるが降雪期間に入ると歩行至難である。此處から重疊たる丘嶽を五十分勾配で上り兩羽國境の分水嶺を貫く長短二ヶ所の隧道を送迎して秋田縣に踏み入れば次驛黑澤まで急勾配を下るのである。
黑澤は四周を奥羽山脈に圍まれた盆地で林産物に富みその主要なるものは木炭(年産額二、五〇〇噸)薪(同六二〇噸)木材(同一、二〇〇噸)亞炭(同三五〇噸)等で驛附近には旅館、商家などがない。
更に勾配を續けて進む程に小松川の渓流絶えず沿道に縺れその兩岸を飾る楓色も捨て難く三ケ所の隧道過ぎて四面山巒に圍繞さりた相野々に着く。
此處も茫漠たる丘嶽中の狭地で生産物として木炭(年産額二、〇三二噸)薪(同四、五五三噸)木材(同一、六一五噸)を數ふるのみである。
驛から東南三十二丁にして俗に仙人神社とも稱する筏隊山神社がある。少名彦命を祀り、諸病に靈顯あると謂はれる參詣者絶えない所で例祭は五月八日、 十月十七日である。
相野々を出て際限もなく起伏する重巒に限界を蔽はるゝこと瞬時にして沃野見えるよと思ふ間もなく次第に殺伐な丘陵、隘谷から逃れて宏濶な平原に辷り込み行手雲表に鳥海の靈峯を仰いで横手に達するのである。
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