點火料(続き) 黒電その5
2009.01.21 |Category …北上で、…
農業のセーフティネット
2009.01.20 |Category …北上で、…
じゅあ、農業は?
農業のセーフティネットなんて聞いた事はないけど(実はある?)、もしあるとしたら、自給率対策ではないだろうか。
地域農業の振興として、地産地消が謳われているが(違う?)、それは大間違いであり、生産者側の身勝手である。何故か。農家が一軒になっても地産地消は成立するからだ。
地消地産こそが、農業の未来を支えると思う。その土地で消費するのは、可能な限りその土地で生産する。そして、どうしても作れない物・量に限り、他地域・外国に依存する。
付加価値を附け高額商品を生産するのが農業ではない。生きていくための食料を生産し、そのめたに自然環境を作り上げていくのが農業の基本である。付加価値云々はプラスαの部分である。
そうやって出来た美しい里山は観光資源になる。生産種が増えれば、新たな土産土法も生まれるでしょう。そういう料理も郷土料理として新たな物産になる。まじめに取り組めば、高級農産物でなくても付加価値は生まれる。
安価な農作物は消費者にとっては必要である。しかしセーフティネットを考えれば、一定の量は行政の目の届く範囲内で管理生産するべきである。一定の量とは最低限の食料自給率を決め、それを賄う量分だけは、社会保障するのである。それに見合うだけの生産人材の確保も行政の責任で行う。
農業高校を花巻に持って行かれたのは痛いが、分子生物学が発展した昨今、学力不足では理想的な本来の農高生は務まらない。農業はそういうレベルに達している。遺伝子が発現してタンパク質を作り出すのに最適な環境を与える、タンパク質が機能を発揮するための最適な環境は何で、どうやって維持するか、それが農業の基礎知識となってきてるのではないか。
遺伝子は品種改良にだけ現れるキーワードではない。農業全般を支配している。
北上には県の生物工学研究所があるじゃないか。活用するべきである。
なんちって。
自然環境破壊
2009.01.19 |Category …北上で、…
確かに人と話していたり新聞の記事を見ていたりすると、そういう印象を受ける事がある。農業は人類が最も長期間に渡って行ってきた自然破壊である、というような内容の記事を見る事もある。それは事実だと私も賛同するが、農業やっている人は、きっと怒るよなぁ、ぜったい。
混同してはいけない。自然破壊だけど、環境破壊ではない。自然環境破壊は自然破壊とは違う。
「なんとか」環境とか言うときの環境は、「なんとか」と人間の関係を表しているのであって、自然と人間の関係の中で、自然を「破壊」して都合の良いように作り上げた環境の一つが農業なのである。
里山は自然ではなく、自然環境として、優れたものだ。この里山のようなものを作り上げていくのは米文化特有のものではなかろうか。米は連作が可能だから、米を作れる田んぼが出来ると、それを大事に守るからだ。環境を作り上げる事に敬意を払う。規模のでかいのが里山で、小さいのが庭園や盆栽ではないか。
一方麦文化では、連作障害を起こすから、使えなくなった土地の代わりの土地が必要で、次々に土地を得る必要があり、米文化ほど自分が手をつけた土地に執着が無い。その分、人の手の着いていない自然に対する畏敬が強いのではないか。
と、思う。根拠は希薄。
北上は当然、米文化である。だから、「水と緑の豊かな」というなら、当然、どんどん手を加えて環境を作り上げ、それを守っていくという思想が必要で、そういう作業は何十年何百年と必要だ。
展勝地や国見山の桜や、市内各地の清水をどうするのか、先人が作り上げた自然環境である。これを上手に維持・発展できなければ、それは単なる自然破壊で終わってしまう。
なんちって。