女将のおもてなし弁当 宮城松島編 1150円
NRE仙台製造
これ、うまい~
おかずいっぱい~
牡蠣尽くし的な~
日本酒合う~
なお、松島の島巡りをイメージしたそうです。
おしながきと原材料名に書かれている料理名の書き方というか表現の仕方というか、若干異なるが、お品書きの方で紹介。
【先 付】菜の花と花小海老のお浸し (左側下)
【焼き物】牡螺とほうれん草の柚子味噌田楽 (右側上)
【揚げ物】小海老とあさりのかき揚げ (下側右)
筍の藻草揚げ (左側上)
しし唐素揚げ (左側上)
【煮 物】飛龍頭 クコの実 (右側下)
【強 肴】まぐろの竜田揚げ (上側右)
【酢の物】牡螺のマリネ (下側左)
【ご 飯】牡螺飯 鰻ご飯 (真ん中右と左)
【香の物代わり】あさりと海苔の佃煮 (上側左)
飛龍頭(ひりゅうず)はがんもどきの事なり。
強肴(しいざかな)は酒を進める肴の事なり、へぇ~、初めて知った。
「おしながき」には一緒に「お献立の話し」として、次の4つが載っていました。
■松島のアサリ
アサリは松島のカキに並ぶ名産品です。松島湾内の宮戸島には縄文時代前期から弥生時代初めまでの遺跡「里浜貝塚」が残っています。奥松島では春から夏にかけて多くの潮干狩り客で賑わい
ます。
■筍の藻華(もか)揚げ
松島自慢の海の幸「藻草」はアカモクとも呼ばれている「海の幸」です。
■飛龍頭と松島
「飛龍頭」=「がんもどき」。瑞巌寺など、松島にある数々の寺院の精進料理として古くから食されていた献立を松島の女将風に味付けしてお弁当に加えました。
■「松島」が鰻の名産地?
松島は、大正時代の中頃までは、浜名湖と並ぶウナギの名産地でした。瑞巌寺参道の脇に建てられたウナギを供養するための「鰻塚」がそれを物語っており、今でも創業50年以上の老舗鰻専門店数軒が営業しています。
更に「おしながき」の裏側には、観光案内も。
松島女将の散みち
女将のおすすめするゆっくり旅
■瑞巌寺(国宝)
天長5年(828年)、慈覚大師円仁によって開創された奥州随一の禅寺で、現在の建物は慶長14年(1609年)に政宗公が桃山様式の粋をつくし、5年の歳月をかけて完成させた菩提寺です。
■福浦島と福浦橋
松島海岸の東方に浮かぶ島で、朱塗りの長橋(福浦橋)で結ぱれています。全島が自然植物園の指定を受け、松林の中にツバキ、カエデ、竹など130種もの植物が自生。島内には貝塚もあり、かつては陸つづきであったことを物語っています。また島の奥には弁天堂があり、ここの七福神おみくじが人気です。遊歩道があり、徒歩で約30分です。
■雄島と渡月橋
かつて108の岩窟があったといわれ、かの松尾芭蕉も『奥の細道』紀行で訪れた雄島。古くからの僧侶の修行の地であり、死者の浄土往生を祈念した岩窟で、内部の壁面には卒塔婆や仏像、法名を彫った跡が数多く見られます。見仏上人が、法華経6万部を読誦した見仏堂の跡があり、見仏上人は、この場所で12年間もの長きにわたって修行を続けました。
■五大堂と透かし橋 (国重要文化財)
松島のシンボル五大堂は、慈覚大師円仁が円福禅寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、五大明王像を安置したことから、五天堂と呼ぱれています。現在の建物は、伊達政宗公が慶長9年(1604年)に再建したものです。五大堂へは島に渡る前に身も心も乱れのないよう気を引き締めて参詣するようにと、足元に海が見える透かし構造の朱塗りの”透かし橋”を渡ります。
■夜のライトアップ
瑞巌寺の参道や円通院の庭園、観瀾(かんらん)亭などが照らされ、色づく紅葉が鮮やかに浮かび上がり、松島が幻想的な世界に包まれます。
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