〒438-0212 静岡県磐田市海老島661-2 にある郵便局。
(Google mapで見る
局舎)
10月27日意匠を変更した。
旧印には
竜洋海洋公園と掛塚灯台が描かれていた。
新印には遠州海岸に建設されている掛塚(旧駒場)
灯台・
風竜(風車)と袖浦公園に展示してある航空自衛隊から寄贈された
初代ブルーインパルス(F86)が描かれている。
明治30年に設置された掛塚灯台は平成14年に
移設され、
いや~、郵頼したはずなのに全然返送されてこないから、もしかしたら依頼ミスしたかと思ってました。
実際他の人の依頼押印が私の所に誤って送られてきたことがあるから。
遂に自分のもか、と思っちゃったけど、ようやく返送されてきた。
よかった~、と思ったら・・・
一緒にお願いした普通日付印が11月6日の日付になっているし・・・
なぜ?
依頼が多すぎて、ここまでかかった?
ま、いいんだけどね。
で、一緒に、ご丁寧に次のご挨拶分も送られてきました。
それと、これ。
郵便局の情報が書かれていたので、以下で紹介したいと思いますが、この「70」って、なんでしょうね?
内容を見て、あー、です。
日本政府は近代化への改革として、遷都や陸海通信網の整備、イギリスでの経験から為替貯金の実施等を進めた、その一つとして、明治4年4月20日、東京大阪間で官営の郵便事業が開始されました。
そんな中、この地(駒場村)では、明治17年に駒場郵便局が開設されました。
それから130年の間に、この地には、掛塚(駒場)灯台が明治30平に初点灯されました。それから100数年経過した、平成15年には、風竜(風力発電)が完成する等、袖浦地区では、陸・海・通信と、いつの時代も貢献してきました。
この度、袖浦の地の歴史を多くの方に伝えたく想い、風景印を一新しましたので、記念の郵便帳(Sodeura Post Memory)を作成しました。
平成27年10月27日
袖 浦 郵 便 局
局 長 栗田 耕志
風景印への想い
まず、130年の間に、忘れてはならない、大戦があった事。
戦時中、袖浦公園周辺が「明野陸軍飛行学校天竜分教所」で、多くの若者が飛行訓練をしていた。
そんな中、70年前のこの地で、戦争を穏やかに終息させる為、マニラから木更津まで飛ぶ途中(マニラ会議からの帰途)、鮫島海岸に燃料不足で墜落逃れ不時着した飛行機があったそうです。
その時、飛行機から脱出した兵隊は、周辺集落(鮫島)の人達の助けで、電話の繋がる所(袖浦郵便局)へ案内され(8月21日2:00頃)、同時に天竜分数所で就寝中の隊長を呼び、「マッカーサーと、降伏調印に向けた話し合いをして、今後の予定を報告したく、今夜中に東京へ戻りたいから、飛行機を出してください」と頼んだ。結果、「浜松飛行場(浜松基地)なら、飛ばせる機体があるので、案内します」と、急ぎ向かい、浜松から東京へ飛び無事、調印式等の今後の予定を報告した。
この地における、早い働きがなければ、ソ連からいつまでも攻撃を受け、日本は4つに分断(ソ連、米国、英国、中国の各統治下に)されていたかもしれない。
現在の平和な日本があるのは、鮫島・袖浦村の人、明野陸軍飛行学校天竜分教所隊員方のお力と思いました、そんな日本の発展に貢献した”飛行機”と”灯台”と”風竜”を入れたスタンプに仕上げました。
袖浦郵便局の沿革
明治17年10月1日 駒場郵便局 静岡県豊田郡駒場村 開設
明治18年9月30日 駒場郵便局 静岡県豊田郡駒場村 経費節減の為廃
明治36年12月10日 駒場郵便受取所 静岡県磐田郡袖浦村駒場 開設
明治38年4月1日 駒場郵便局 静岡県磐田郡袖浦村駒場 無集配(三等)に昇格
昭和8年8月21日 袖浦郵便局 静岡県磐田郡袖浦村中平松433 局舎移転・局名改称
昭和30年4月1日 袖浦郵便局 静岡県磐田郡竜洋町中平松433-3 町村合併
昭和50年1月13日 袖浦郵便局 静岡県磐田郡竜洋町海老島661-2 局舎移転
平成17年4月1日 袖浦郵便局 静岡県磐田市海老島661-2 市町村合併
案内に載っていた昭和8年当時の局舎。
掛塚灯台まで5.2㎞。
現在閉鎖中で、今月再開予定の匂坂簡易郵便局まで12.6㎞。
隣の市の浜名湖まで27.4㎞。
浜名湖ってってら浜松市だけど、隣の磐田市でもウナギが名産なのかな?
マスクメロンなら当然知ってますが、アローマメロンが特産なそうです。
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